講師うめ 男性 45歳
講師学歴大阪府立富田林高校
京都大学工学部
京都大学大学院工学研究科
講師指導歴19年
指導科目数学ⅠAⅡBⅢ(最難関まで)
物理(最難関まで)
化学(最難関まで)
英語(難関まで)
※中学・高校は5科目対応(古文漢文・情報も可)
資格メンタルヘルスマネジメント検定Ⅱ種・Ⅲ種

受験生時代

受験を決意

京大受験を決意したのは高2の冬。公立校の伸び伸びした校風もあって部活には打ち込んでいたものの、勉強は宿題とテスト勉強ぐらいでした。

ある日の部活帰り、ふらっと寄った本屋で受験の実情を知って「このままじゃダメだ、とても受からない」とめちゃくちゃ焦ったのを覚えています。

しかも当時母校からは阪大合格者が1人出るかどうかで京大を受験する生徒すらおらず、現役京大合格者に至っては12年前の伝説みたいな話までさかのぼる状況でした。

さらに英語の成績が学年20位くらいと振るわず、京大を目指すなんてとても言えないぐらいのスタートでした。

それでも、なんとかして京大に現役合格すると決意しました。

勉強法の重要さ

そこから毎日本屋で立ち読みをして受験勉強のコツを吸収していきます。まず取り掛かったのは英単語の暗記です。模試で日本一になったことがある人の暗記法でやりました。

冬休みの2週間と3学期の1週間合わせて3週間で5000語を達成。しかも長期暗記したのでその後2度と単語帳は開いていません。

この時に勉強法の重要さを思い知らされました。これまでは受験勉強しようとしても三日坊主で終わっていて勉強に対してしんどいイメージだったのです。

ところがこの単語暗記はコツを使うことで疲れずにスイスイと覚えられてしかも忘れない、「自分にもできるかも」と手ごたえを感じた瞬間です。

その後あやふやな英文法をきちんと暗記し直すと、高3の春には学年2位となり夏前にはセンター過去問を満点取れるようになりました。

心の殻を破る

数学は放課後、学校の先生に質問しに行きました。数学が本当に好きな先生でとても楽しいひとときでした。

ひらめきに頼った僕の解き方と違い、確かな解き方を教えてくれました。成績がぐんぐん伸びて学校のテストでは99点取ったりしましたが、それでもなかなか京大レベルには届きません。

どうしたら京大の問題が解けるようになるのだろうかと考え続けていました。

秋になったある日、いつものように先生に質問に行くと「これは解ける、君なら解ける」と自信たっぷりに言うばかりで教えてくれません。

黙って待ってくれている先生の横で仕方なく解こうとしてみると・・・、「あれ!?・・・これをこうしたら・・・!!!」すると解けてしまったのです。

問題の見た目が難しく腰が引けていた僕にあえて解説せず背中を押してくれたのです。ブレイクスルーが起こった瞬間でした。一見難しい問題も崩せる感覚をつかみ、たいていの問題は解けるようになりました。

先生から「数学(勉強)って楽しい」と肌で感じさせてくれましたし、「信じてくれる力」で殻を破る勇気をもらいました。

加速度的な成長

とは言えずっと順調だったわけではありません。6月上旬まで部活をしていましたし夏休みも文化祭に向けて劇の練習を連日やっていて勉強時間を思うように取れないことが多々ありました。

その逆境をどうはね返すか、どう工夫するかいつも戦略を練っていた気がします。

浪人生のようにたくさん時間を取れない中で、どうしたら周りより速く成長できるか、この限られた時間を最大限どう活かすか、当時の僕が出した答えは、「能力から伸ばし加速度的に成長する」でした。

例えば、数学の問題を毎日2時間10題解くとすると、それを続けていけば確かに数学力は上がります。でもそれでは加速度的とは言えません。

同じ時間で解ける問題数を増やしたり、その問題から吸収できることを増やしたり、定着に必要な時間を減らしたり、そもそも数学とはどういう力を求められているのかを考えたり、そしてそれをずっと続けて勉強の質を高め続けました。

当時、高校生だった僕がつかんだことを、高校生の言葉で生徒たちに伝えられるおかげか、とても分かりやすいみたいで今の授業に生きています。

受験、そして合格!

直前になっても苦手だったセンター現代文と京大化学の有機は、遠くの予備校まで短期講習を2科目だけ受けました。授業内容の斬新な切り口に驚きと感動を覚え、勉強法の重要さを改めて理解しました。おかげで当日はどちらも満点取れました。

京大の二次試験は2日間にわたって行われますが、1日目の数学が思ったより出来が悪くホテルに帰ってからも「終わった・・・」と落ち込んでいたのを覚えています。

「もっと数学対策に時間をかけておけば・・・」「このまま浪人するしかない」「あれだけ勉強してきたのに・・・」後悔や落ち込みなどひとしきりして崖っぷちの心境から、ふと考えが変わりました。

「まだ終わりじゃない。もし浪人するとしても来年の合格のために明日全力を出そう。今できることをやり切れば次につながる。これまでもそうやって成長してきた」目の前の結果(今年の合格)をすっと手放せて、人生レベルの大きな考えに変容できたのです。

2日目、前日と違い完全に集中していました。最終科目の英語では、終わって席を立とうとするとお尻がしびれていて2時間半1度も身じろぎせず集中しきっていたことにその時になって気づきました。

すると化学は練習通りほぼ満点、英語は練習では良くて7割の出来だったところが9割の出来でした。英語がここまで出来たのはこの本番のときだけでしたので、解答速報を見てものすごく驚きました。

その年の数学・物理は難しく差がつかずに済み、得意科目の加点で無事合格できました。苦手だった英語を克服して得意科目に変えたことが功を奏しました。

塾講師時代

大学院を卒業後、教える仕事に就かないと後悔すると思い、塾講師をしました。最初の定期テストから成績アップ者が続出し、2回目の定期テストでは学年トップを取った生徒も出ました。1年目からどんどん担当クラスが増えて大忙しでした。

その一方で成績もやる気も低迷している生徒がいたのですが、集団授業のためできることは限られていて歯がゆい思いをしていました。本当はこの生徒も伸ばしてやれるのに、マンツーマンなら変えられるのに、と心残りでした。

プロ家庭教師開始

一人目の生徒

一人目の生徒はかなり印象に残っています。塾長から依頼された生徒で、塾長に「彼はダメだ、どうにもならないですよ」とできない子の烙印を押されていました。

こちらは俄然やる気になって「彼にも伸びる方法はある、それを証明しよう」と密かに思っていました。中学内容のつまずきを直しながら高校の数学・理科・英語をきちんと入れ直していきます。いいところを認め、自分で考え自分の言葉で話すことを促します。

するとぐんぐん成績を伸ばし、一年後、彼は立命館大学に合格しました。「大学生になったら、その塾で塾講師のアルバイトをするんだ」と話してくれました。塾長の驚く顔が思い浮かびます。

合格もそうですが、一年で見違えるほど成長して、以前はオドオド自信がなくモゴモゴとうまく話せないのが、落ち着きがありハキハキと自分の考えを話せるようになりました。

お母さんにもすごく感謝され、いい仕事だな、と感じました。このとき、これを自分の仕事にしようと決めました。

たくさんの生徒たち

始めたての頃は、学校の勉強についていけない、基礎から分からないという生徒の指導が多かったです。どんな生徒でも「できるようになる方法はある」のモットーで向き合っていると、きちんと打開策が見つかり、成績を伸ばしてくれました。

学年最下位の生徒や、欠点だらけで進級が危ない生徒、勉強をあきらめている生徒、塾やほかの家庭教師に匙を投げられた生徒など、最後の砦のようになっていた時期もあります。そんな生徒たちでも僕の授業は楽しいらしく2時間があっという間に過ぎるそうです。

そして「分からない」が「分かる」に、「できない」が「できる」になるにつれて、いい表情になっていきます。気づくと苦手科目が得意科目になっているので、他の教科も教えてほしいと本人から言い始めます。

ピンチを脱しただけでなく希望の光がさして頑張るようになりますし、志望校をワンランク上げるというケースも多々ありました。

こうして勉強が大の苦手という生徒たちにひとりひとり向き合っているうちに、どんどん腕が磨かれました。すると勉強が得意な生徒を指導する時にもそれらが生きて、より濃い授業ができるようになりました。

合格実績

<大学>

京都大、神戸大、北海道大、大阪府立大、和歌山大、長崎大など

慶応大、東京理科大、同志社大、明治大、立命大、関西大、近畿大、龍谷大、摂南大、神戸学院大など

奈良県立医科大、大阪医科大、関西医科大、金沢医科大、東京歯科大、日本歯科大など

<高校>

奈良高、西大和高、同志社国際高、近大附属高、桃山高など

<中学>

明星中、同志社香里中、奈良学園登美ヶ丘中など

強み

  • 「分かる」深さと速さが違う
  • 連動して伸ばす指導
  • 内側からくみ出す指導
  • 全科目対応
  • 難関校対応
  • ゼロから受験まで対応
  • 加速度的な指導
  • メンタルフォロー
  • 受信力の高さ